宗派 天台宗
本尊 大聖不動明王
223-0062 横浜市港北区日吉本町2-41-2
ホントは今日は四ヶ所を参り、
神奈川県「発心の道場」(七ヶ寺)を、
すべて終える予定でしたが、
時間の都合で、
どうやら次が最後になりそう。
長男が高校で三年、
大学で二年お世話になった、
日吉にやって参りました。
しかしタヤパン、日吉って、
やっぱり日吉権現が名前の由来だよな。
日吉大社の分霊の日吉神社って、
どこにあるんだろ?
日吉神社ってあるけど、
祭神・稲荷神みたいだし??
車内でそんな会話をしていると、
ほどなく金藏寺にトウチャコ。
ほとんど予習もせずやって来ましたが、
なんとコチラは貞観年間(859〜876)に、
清和天皇の勅願によって、
あの頭頂尖る「霊骸」頭の、
天台宗第五代座主、
智証大師円珍が創建した名刹。
ご本尊も円珍作の大聖不動明王とか。
門前の石標によると、
あの比叡山根本中堂の、
不滅之法灯が分灯奉安され、
関東三十六不動の第五番の他にも、
武州二十八不動の第八番、
准秩父三十四ヶ所の第三番、
横浜七福神の寿老神の札所とか。
徳川家康・秀忠にも庇護されて、
別名を「鎮護国家道場」とも称するとか。
スゲーぢゃん。
山門をくぐると正面に本堂ですが、
開扉は元旦から一月七日までのみとか残念。
とても残念。
本堂の右には、
朱塗りの手水舎が、
とても良く目立つます。
本堂の左には、
この観音堂がありますが、
こちらもなんの案内もなく、
中を覗き込むも、
観音様は御簾の中の様子です。
歴史のありそうな石造の六地蔵。
そしてかなり古い、
板碑が三基並んでいます。
嘉吉四年(1444)の阿弥陀仏、
光明真言入りの阿弥陀仏は建武元年(1334)、
観音・勢至の三尊阿弥陀仏は、
なんと嘉暦元年(1326)の建立。
あらまぁ、徳川家康・秀忠寄進の、
梵鐘を見学し損ねた。(;´Д`)
本堂の左奥に、
手水舎と同じ朱塗りの、
楼門形式の弁天堂がありました。
特に立入禁止となかったので、
中に入ってみると、
見ざる聞かざる言わざるの三猿など、
絢爛豪華な彫刻が施されています。
二階部回廊をぐるりと正面に回ると、
弁天堂内に至ります。
本堂裏、弁天堂向かって右に、
小さな弁天池もありました。
実はこれが琵琶湖を模していることに、
気付くのはまだ数分後のこと。
弁天堂の二階部から、
そのまま金藏山の裏山に上れます。
日吉山王権現???
なるほど、金藏寺が三井寺=園城寺で、
この裏山が比叡山。
つまりこれが日吉大社なんだな。
弁天池は琵琶湖なのか。
日吉の地名は、
この日吉権現が由来でした。
はたまたこの上にもっと立派な、
日吉神社があったのか。
元々、この石祠だけなのか、
ググって調べてみましたが、
その当たりはよく分かりません。
今度、国会図書館で、
もっとよく調べてみたいデス。
さて日吉山王権現より、
さらに左に進むと、
再び弁財天を祀る弁天堂奥之院。
さらにその先には不動明王を祀る祠。
更に石段を上がり、
比叡山の山頂部に出てみましょう。
山頂には小祠がありましたが、
ここにもまたなぜか、
石造不動明王立像が、
祀られていました。
金藏寺裏山からの景色です。
この山の逆側は京都になるはずですが、
普通にマンションが建ち並ぶ、
住宅地になっています。
さて、本日の巡礼は終了デス。
タヤパンに武蔵小杉駅まで送ってもらいました。
タヤパン今日は一日付き合ってくれてありがとう。
楽しかったなぁ、次はどこに行こうか。
ここから横須賀線総武快速線、
直通のグリーン車で、
男梅ハイを飲みながら。
一路、津田沼まで帰りましょう。
楽チンスイスイです。
しかし、意外に混んでいたので、
二階部の一階席しか、
席が空いてなかったのだけど、
この一階部の車窓から見るホームって、
ちょっとドッキリしてしまいます。