平河山 浄土寺 (赤坂一木浄土寺)

宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
107-0052 赤坂4-3-5




赤坂見附での打合せを終たのは昼近く。
行きは霞ヶ関より丸の内線で来ましたが、
帰りは千代田線で日比谷駅に出たかったので、
一ツ木通りをTBS方面に向けて歩きました。




→ 【御府内第七十五番】智劔山 威徳寺(赤坂不動尊)




途中、御府内八十八ヶ所でもお参りした、
赤坂不動尊の門前で足を止め一礼。
御府内遍路で伺ったのはもう四年以上も前のことです。




浄土寺門前




おや、こんな所にお寺がある・・・。
本社が赤坂から品川に移転するまで、
僅かな期間ではありましたが、
赤坂に通勤していた私ですが、
今まで全く知りませんでした。




「六地蔵尊」提燈




実際「門」は無いものの、
門前(?)には、「六地蔵尊」と記された、
こんな提燈が掲げられています。
ほぇっ「六地蔵」・・・?。
江戸六地蔵については、
カテゴリー【江戸6地蔵】も作成するほど、
ここで何度も書いておりますが、




→ 元祖?江戸六地蔵




この元祖「始めの六地蔵」も含めても、
赤坂周辺の話は聞いたことがありません。
何か別の六地蔵のお話があるのでしょうか。




身代地蔵尊・子育地蔵尊




門前(?)左手にいらっしゃる、
二体のお地蔵様は、
それぞれ身代地蔵尊と子育地蔵尊のようですから、
六地蔵とは関係ないでしょう。



本堂



本堂に続く参道には、
民家や雑居ビルの玄関が隣接しています。
本堂は鉄筋コンクリート造り。
私の記憶が確かなら、
この辺りは東京大空襲
被害が激しかった地域です。



銅造地蔵菩薩坐像




本堂の右手下に、
なかなか大きな銅造地蔵菩薩坐像があります。
おや、このお顔には見覚えがあります。
ちょっと規模は一回り小さいですが、
現存する"後の"「江戸六地蔵」の五体と、
そっくりなんです。



案内板



こちらの港区教育委員会の案内板によれば、
なるほどそっくりなのは当然です。



江戸六地蔵」は宝永五年(1708)に、
深川のお坊さん地蔵坊正元さんの発願で、
江戸市中から浄財が集められて造られた、
神田住の鋳物師、太田駿河守正義さんの鋳造の、
銅造地蔵菩薩坐像です。




銅造地蔵菩薩坐像近景  銅造地蔵菩薩坐像左側



こちらはその11年後の享保四年(1719)、
やはり同じ地蔵坊正元さんと、
こちらの当時の住職、観誉さんの発願で、
同じ鋳物師、太田駿河守正義により建てられたものなのです。
こりゃ似ていて当然ですね。



銅造地蔵菩薩坐像裏側  「太田駿河守正義」刻銘



お背中にしっかりと「太田駿河守正義」刻銘があります。
どうやら当初は光背があったかのような部位が残っています。



本堂内



浄土宗の浄土寺さんですから、
当然ご本尊は阿弥陀様でした。



石造閻魔大王像


本堂左下には、
閻魔大王石像です。
特に案内がなかったので、
年代は不明です。


本堂左横の六地蔵



本堂左側、立入禁止の区域に、
石造の六地蔵がいらっしゃいましたが、
これも近寄れないので、
やはり詳細は不明です。




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