祭神 宇賀之御魂命・飯綱権現
権現観音堂本尊 十一面観世音
276-0043 八千代市萱田476
地図を再び眺めると、またまた古墳ではないかと、
思われる高台に飯綱神社があると書かれています。
飯綱権現といえば、高尾山にも祀られる、
代表的な神仏習合・山岳信仰の神様。
こりゃ、是非お参りしましょう。
さすがは山岳信仰の神の社。
天保三年(1832)に造られた、
垂直な壁のよう長い石段を上ると、
これまたさすがは神仏習合、
文化十一年(1814)建立の、
このお寺のような立派な袴腰の鐘楼です。
この鐘楼の前から見る眺望は最高。
確かに天狗がふわりと飛んでいても、
あまり違和感がありません。
この狛犬もいいなぁ〜。
この辺ではあまり見かけないタイプです。
さて、こちら。
文明十一年(1479)の創建とされ、
現在の「権現造」風の社殿は、
実は別々に建てられたもののようです。
この拝殿と、本殿をつなぐ弊殿は、
明治二十二年の建立。
いわば、神社そのものの形式。
しかし一転して、
この朱塗りの瑞垣・玉垣とその中の本殿は、
棟札の銘によると安政三年(1856)の建立で、
神社の本殿にある千木、鰹木がありません。
私達があまりに熱心に覗いていたら、
雨漏りを修理していた宮大工さんが、
通常、一般の人間が入れない、
瑞垣・玉垣の中に招いて頂きました。
この瑞垣・玉垣には、
中国の故事「二十四孝」が彫刻されています。
この彫刻が一番古く延享五年(1748)、
「下総洲香取郡 彫物工 竹内山幸」の作品です。
この玉垣が北東の部分だけ、
このように飛び出してます。
宮大工さんのお話によると、
これは鬼門封じなんだとか。
そのすぐそばに石のお不動さまが、
やはり睨みを利かせていらっしゃいます。
本当に神仏混淆だったんだねぇ。
当時はおそらく、お寺だ、神社だと、
区別する必要すらなかったんだろう。
祭神も本尊も、よく分からないほどにオールスター。
私、ここ、大好きです。
この本殿裏手に、「権現観音堂」とされた吉橋大師第三十番札所です。
今はお大師様のみで、観音様はいらっしゃいませんが、
お隣にお地蔵さまもお立ちです。
境内左手奥には樹齢四百五十余年のご神木「女公孫樹」。
境内左手前には「八千代市文化伝承館」が置かれ、
中からお囃子の練習する音がもれ聞こえました。