展覧会 2012年7月24日(火)〜7月29日(日) 9:00〜17:00
講演会 2012年7月29日(日) 10:00〜11:00
演題 「父、伊藤音次郎を語り継ぐ」
講師 井上和子氏(伊藤音次郎氏の末子・習志野市袖ヶ浦在住)
275-0016 習志野市津田沼7-9-20 菊田公民館
公式サイト http://www.city.narashino.chiba.jp/event/event/641020120623141813726.html
実はこの記事。
久々にしっかりと歴史系のデータも調査して、
頑張って書き上げてアップロードしたらブッ飛んで、
すっかり同じモノを再び書く気力が萎えました。。。
そんな訳で、すっかり淡白な記事になってしまいましたこと、
諸事情ご考察の上ご理解願います。
数週間前に、この公民館の展覧会のチラシが、
新聞の折込み広告に入っていました。
→ 山縣飛行士殉空之地碑 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地
伊藤音次郎さんといえば、
この「山縣飛行士殉空之地碑」を訪れた際に、
この碑の建立者と知って、
揮毫者の奈良原三次さんとともに、
後にいろいろと調べました。
→ 伊藤音次郎 - Wikipedia
→ 奈良原三次 - Wikipedia
こりゃーなんとも楽しみです。
京成津田沼駅にほど近い菊田公民館。
展覧会の大きな看板が玄関の左側にありました。
公民館二階の展覧会会場。
この手の催し物に多く、
地域のお年寄りの集会場と化しています。
大抵私が最年少。。。
伊藤音次郎の年表とともと、
序章から始まった展覧会。
その多くは伊藤氏の日記を元に作成されています。
この朝日新聞の記事によると、
昭和五十四年(1979)、船橋市市内のYさんが、
初年時代に伊藤製作所からもらい受けていたものを、
習志野市に寄贈したという木製のプロペラが展示されていました。
さて、奈良原から継承した、
稲毛の飛行場が台風による高潮で、
大正六年(1917)に壊滅した後、
今の津田沼(鷺沼海岸)に移ったという、
伊藤飛行機製作所は一体どこにあったのか。。。
私の手元にもある、
この昭和三年(1928)作成、
松井天山「千葉県津田沼町鳥瞰図」にも、
右下端に確かにこの記述が読み取れました。
→ 山縣飛行士殉空之地碑 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地
さて、元より伊藤氏よりも、
強く思いい入れのある、
山縣豊太郎氏の展示です。
初めて見る遺影。そして悲惨な墜落の現場写真。
長く出会えなかった知人との再会と別れのような喪失感。
最終日10:00からは、
三階講堂にて、講演会もありました。
伊藤音次郎氏の末子・習志野市袖ヶ浦在住の、
井上和子氏による「父、伊藤音次郎を語り継ぐ」という演題の講演会。
最後の質疑応答では、
突然伊藤氏の下で働いていたという、
年配の女性が現れて、
伊藤音次郎氏の署名がある、
武運長久を祈る日章旗が登場して、
聴講者一同が大興奮。。。
← 二つのブログランキングに参加致しております。
← よろしかったら応援クリックをお願い致します。