本住吉神社

祭神 底筒男命中筒男命表筒男命神功皇后
658-0053 神戸市東灘区住吉宮町7-1-2





→ 住吉大社




朝イチ新幹線で大阪に戻りまして、
まずは新大阪のマンションで荷物を下ろし、
そのまますぐに神戸の事業所へ向かいました。
神戸の事業所のJRの最寄り駅は住吉駅
「住吉」といえば総本社・本宮は、
上記リンクの摂津国一宮である大阪の住吉大社
分霊・勧請された住吉神社があるとしても、
こんなそのすぐ近くで、
JRの駅名にまでなっている理由が分からんちん。
ちな大阪の住吉大社の最寄駅に住吉駅はありません。





本住吉神社




あんれまぁ、JR住吉駅のすぐ近くに、
こちらの本住吉神社がありました。
早速ググってみたこちらのご由緒ですが、
かの日本書紀における、
神功皇后三韓征伐からの帰途に、
急に船が進まなくなって、
神託により住吉三神を祀ったとされる、
「大津渟中倉之長峡」は、
実はこの地であって、
あくまで今の住吉大社は、
こちらからの分霊・勧請であるとしています。
だから「本住吉」なんですね。
なんとこの主張はあの本居宣長も支持しているとか。






拝殿  本殿





しかし延喜式神名帳には記載がないもので、
明治初年の『神社調査明細書』には、
ただの「住吉神社」と記載されてしまったようです。
後の明治三十八年(1908)の申請で、
本住吉神社」に復称しました。
現在の社殿は平成七年(1995)の、
阪神淡路大震災で大きな被害を受け、
その後復興したものであるとか。。。





三代目 美かげの松  住吉村道路元標





ここには、この周辺にある、
神功皇后の化粧直しの、
沢の井の「御影」と同じ名の、
「美かげの松」という、
巨木?名木?があったようですが、
こちらは御鎮千八百年記念植樹の三代目。
境内参道西脇にある「住吉村道路元標」は、
建立の年代もまたそもそも、
元々ここにあったのかすら不明ですが、、
本住吉神社境内は南に接して、
西国街道(国道2号)が東西に走り、
東に有馬街道が南北に走っています。





本住吉神社前から海を望む




いずれにしても、
神功皇后の船が立ち往生したという「海面」は、
こちらの元住吉神社も、大阪の住吉大社も、
遠く彼方の先となりました。




しかし関係ないけどこの辺りって、
ランチのお店もほとんどない住宅地。。。
ここに来たらお昼はしばらく、
コンビニ飯になってしまいそう。。。