西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

埋木舎 〜琵琶湖一周サイクリング(ビワイチ)二日日-5〜

開館時間 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)、12月20日〜2月末
入館料 大人300円・高大生 200円・小中学生100円
522-0001 彦根市尾末町1-11





琵琶湖一周サイクリング(ビワイチ)
初日→ 1234
二日目→ 1234






八百八段の石段を下り、
滝汗をかいて、
全身ずぶ濡れ、
膝はガクガク、
足は蚊に刺されボコボコですが、
14時に長命寺下を出発。



長命寺から南に戻らず湖岸線を北へ進む  巨岩・奇岩が並ぶ




長命寺からファミリーコースには戻らず、
山間のスピードコースを北に進みます。
湖岸線には長命寺の上と同様に、
様々な名前の付けられた、
巨岩、奇岩が並んでいました。






長命寺から湖岸線を北へ  鬱蒼とした山道




初日湖北、奥琵琶湖で、
多少のアップダウンがありましたが、
二日目はほぼ平坦でしたが、
ここに来ての上り下りは、
かなり足にきました。
ただ鬱蒼とした山道は、
とても涼しくて生き返ります。




近江八幡から彦根へ  彦根市内に戻る



近江八幡市から、
いよいよ彦根市内に戻ります。



再び彦根城内へ  中堀と滋賀大学の間を走る




さて午後15時、二日ぶりに、
彦根城内にチャリで戻りました。
中堀と滋賀大学の間を走り、
初日に時間切れで観れなかった、
埋木舎を目指しましょう。



彦根城内内堀沿いを走る  観光客で賑わう彦根城内


初日は平日の木曜日で、
台風の影響もあり、
閑散としていた、
彦根城内でしたが、
さすが土曜日は、
多くの観光客で賑わいます。



埋木舎の門  埋木舎案内





埋木舎(うもれぎのや)は、
彦根藩主井伊家の公館で、
佐和口御門に近い中堀に面した、
とても質素な屋敷です。
宝暦九年(1759)以前の建築のようで、
第十一代藩主井伊直中の、
十四男として生まれた直弼が、
三百俵の捨扶持で、
17歳から32歳までの、
十五年を過ごしました。



埋木舎玄関  埋木舎





本来は「尾末町御屋敷」、
また「北の御屋敷」
と、呼ばれていましたが、
おそらく一生をここで終えると、
覚悟していた直弼が、
埋木舎と命名しました。


世の中を よそに見つつも うもれ木の 
埋もれておらむ 心なき身は


歴代藩主の掛軸と客人接待用の漆器類  直弼公日常の使用品


歴代藩主の掛軸は、
まるでウルトラ兄弟や、
歴代ライダー集合写真のよう。
客人接待用の漆器類は、
井伊家の家紋が入った、
なかなか立派なもの。



御茶室  大久保小膳と井伊直弼の展示



こんなに小さな屋敷ながら、
ちゃんと茶室があります。
大久保小膳と井伊直弼の対談展示、
いい加減、マネキンとか、
こういうのもうやめない??




大久保小膳と井伊直弼  



半端な展示物など必要ないから、
出来るだけ井伊直弼が、
住んでいた頃に、
近い状態の屋敷内を見せて欲しい。




坐禅の間  埋木舎裏  




それからさぁ。
大河ドラマとか、
そういうのホント、
どうでもいいから。
なんでホンモノの史跡で、
ニセモノの展示観る必要あんの?




御産の間




こんなに小さな屋敷ながら、
日の当たらぬ隅に、
御産の間があります。
この当時、出産は忌みであり、
穢れだったのでしょう。
この考えが改まったのは、
まだ先の大戦後のこととか。




旧池田屋敷長屋門  旧池田屋敷長屋門の馬屋


埋木舎のすぐ近くで、
池田屋長屋門が、
無料公開されていたので、
ちょっと立ち寄ってみました。
池田屋敷がある辺りは、
五百石から千石取りの、
中級武家屋敷があったそうで、
池田家は初代二代は百石、
三代で二百五十石に加増し、
四代は百五十石に減知、
以降は百八十石で続き、
明治維新を迎えます。
その石高にしては、
なかなか立派な長屋門でした。