観音崎灯台
開園時間 5月〜9月9:00〜16:30/10月〜4月9:00〜16:00
入園料 大人(中学生以上)200円、子ども無料
239-0813 横須賀市鴨居4-1187
→ 野島埼灯台 〜レオンス・ヴェルニー像 その一〜
→ 犬吠埼灯台 その二 〜リチャード・ブラントン像〜
事前の計画では、
三笠公園で海軍カレーパンを食べて、
ランチは三崎のマグロにするつもりでしたが、
残念ながら三笠公園周辺のお店は、
全て閉まっておりました。
よこすかポートマーケットに立ち寄ってみると、
ガッツリ千円以上の横須賀カレーはあるものの、
軽食的な商品がなく諦めました。
南国ムードたっぷりの道を進み、
まずは観音崎を目指しましょう。
観音崎にトウチャコしました。
観音崎公園の入口にチャリを停めて、
公園内はお散歩デス。
別名・観音崎園地ともいう、
神奈川県立観音崎公園デス。
おっ!?、そうそう、
観音崎灯台は全国に15基しかない、
登れる(見学)出来る参観灯台の一つでした。
自称・灯台マニアとしては、
これは見逃せナッシング。
灯台に向かう途中にある、
鵜羽山権現洞穴です。
大昔この洞穴には大蛇が住んでいて、
船を転覆させるなど、
村人を困らせていましたが、
天平十三年(741)に、
行基菩薩がこの地に訪れて、
洞穴に住む大蛇の霊を、
鵜羽山権現として祀りました。
鵜羽山権現は船守観音とも呼ばれ、
これが後にここにあったという、
観音寺の本尊・十一面観音となり、
この岬は観音崎と、
呼ばれるようになりました。
しかしこの観音寺は、
明治十三年(1880)の砲台建設に際して、
近くの鴨居(亀崎)に移転しますが、
昭和六十一年(1986)に焼失。
観音様も灰燼に帰しました。
初代は日本最初の洋式灯台として、
先程の公園の名にもなった、
フランス人技師の、
レオンス・ヴェルニーの設計で、
明治元年(1868)9月に起工し、
翌年1月1日の点灯。
横須賀製鉄所で作られた、
レンガを使用した洋館建てでしたが、
大正十一年(1922)の地震で壊れて、
翌十二年(1933)に二代目が再建。
しかし同年9月の関東大震災で再度倒壊。
現在のものは三代目で、
大正十四年(1935)の再建になります。
やはりヴェルニー設計の野島崎灯台も、
関東大震災で倒壊しちゃってるんですよ。
ヴェルニーの灯台は脆いよね。
俺氏はやっぱり犬吠埼灯台等建設の、
ブラントン派だなぁ。
さて、それではその、
三代目の灯台に登ります。
最上階、レンズが間近に見学出来ます。
灯台の上から見た、
丸く見える東京湾と浦賀水道。
この浦賀水道を越えて、
左手奥にある横須賀港が、
いかに防衛の要所であるか、
本当に良く分かります。
さて灯台から下界に降りました。
そもそも観音崎の地形は、
820〜440万年前に2000〜3000mの、
深海に堆積した逗子層と、
440〜280万年前に1000〜2000mの、
深海に堆積した池子層の、
二層の火山灰や凝灰岩が、
隆起して出来たものですが、
観音崎周辺は北東側に比べ、
南西側の隆起が大きかった為、
南西側にあった池子層は、
浸食・流出してなくなり、
逗子層が地表に現れています。
さてその地層の切通しを進みます。
北門第一砲台跡に到着しました。
この観音崎砲台は、
東京湾要塞を構成する陸軍砲台で
明治十三(1880)年に、
日本で最初に建設された洋式砲台。
扇型に配置された、
24㎝カノン2門砲台の間には、
レンガ造りの連絡トンネルがあり、
このトンネルの下に弾薬庫があったとか。
当時造られたトンネルが崩落の恐れがあり、
ぐるりと山道を回り込んで、
北門第二砲台跡に出ました。
こらはは元々28㎝榴弾砲の、
砲台が4門あったそうです。
当然ですが弾薬庫の中は、
真っ暗で空っぽでした。
園内の案内図には、
「東京湾海上交通センター」とありますが、
レーダーらしきものは動いていますが、
建物が閉鎖されていました。
どうやら今年の1月1日に、
千葉・東京・横浜・川崎港内の、
交通管制室が横浜に統合されて、
コチラは、
「旧東京湾海上交通センター」
と、なったとか。
さてお次は浦賀方面を目指します。