般若心経

金目川

いままで、何度も写経ネタで登場した般若心経。
はてなキーワードも私が作ったんですが、
考えてみれば内容について
このブログでは一度も触れていませんでした。

摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五
蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不
異色色即是空空即是色受想行識亦復如
是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄
不増不減是故空中無色無受想行識無眼
耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至
無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死
亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無
所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無
罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢
想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜
多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等
呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜
多呪即説呪曰
羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶
般若心経


偉そうに「訳」や「意味」を語るつもりはありませんし、
そんな資格もありませんが、
百枚以上、毛筆で写経してみて、
ひょっとすると実はこんな事が言いたかったのかも??
って感じている私的感想はこんなこと。



私たちの体って、
父の精子と母の卵子とのミクロの結合から
出来たちっちゃな細胞が分割して出来たわけです。
母の胎内では母が摂取したものを、
その後は自らの口膣から摂取したものを、
自らの細胞に変えて成長してきたんですよね。
そんなことから、
自分はひとつの自分であると過信してますけど、
そんなのは偶然の積み重ねで出来た
分子や原子の集合体なわけでしょ。
つまり今自分を形成している分子や原子は、
以前他の何かであった訳で、
今現在偶然縁があって
自分の一部として集合しているものなんです。
だから、その集合体が見たり、触ったり、感じたり
していることも実体があるとは言い切れません。
また、爪や髪を切ったり、
垢として流したり、
うんことして出したものは、
つい先程までは自分そのものであったのに、
不浄のものとして捨てられます。
が、しかしそれらもまた、
色々な過程を経てまた何かの一部となるわけです。
そして自分という集合体は期限がくると、
一つの塊としては維持出来なくなります。
これが「死」であり、
個々の分子や原子はバラバラに解散します。
これは生命のあるもののみならず、
「形あるものすべて」に共通します。
そしてまた何かの一部となり輪廻を形成する・・・。
すべてのモノに実体(不変)などないんです。
我々は宇宙を形成する一部そのものであり、
宇宙のすべてそのものなんです。
それが「色即是空」「空即是色」
なのではないでしょうか。


間違っているのかもしれませんが、
こうやって考えれば、
「生」は最上の喜びであり
「死」は絶望の恐怖ではなくなりますよね。



違うかな??。



歴史ランキングへ  にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
↑ありゃりゃ。あはは。