息子達の授業参観 2006〜寿限無の話〜

次男の発表





→ 長男の授業参観 2005




今年から次男も小学生ですから、
今までとは違い、二人の授業を観るためには、
一つの教室に始めから終わりまでいる訳にはいきません。
まずは次男の昔話の「語り」を聞きます。
身振り手振りをまじえた、台本読みのような発表でした。
次男のグループは「へこきあねさ」だってさ。
みんなでブーブー大合唱してました。(汗)




次男の出番が終わったところで、
廊下を×ダッシュ○走らずに、
長男の教室に移動します。
長男の授業(?)はなんと寄席。
なんだか、小学校、親たちに気を使っているのか、
ずいぶんエンターテインメント性が強いですねぇ。
別に普段の授業を普段通り観せていただけりゃあ、
それでいいんですけどねぇ、あたしゃ。(←なぜ落語調。)
すずかけ亭長助   
大きなプラタナスが学校のシンボルですから「すずかけ亭」だそうで。
長男は「すずかけ亭長助」の名で「寿限無(じゅげむ)」を演じていました。
寿限無ってあれお寺の和尚さんにつけてもらった名前という設定ですから、
仏教的な言葉が満載です。

寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶらこうじのぶらこうじパイポパイポパイポシューリンガンシューリンガングーリンダイグーリンダイポンポコピーのポンポコナの長久命の長助

この寿限無とは、
「寿」つまり「命」に限りがないということです。
余談ですけど阿弥陀如来の本名(?)、別名を知っていすか。
インドではアミターバあるいはアミターユスと発音されます。
意味を漢字で表せば、前者が「無量光明」、後者が「無量寿」であって、
光、命に限りがなく、はかり知れないという意味です。
つまり「寿限無」とほぼ同じ意味なんですね。
阿弥陀」というのは、サンスクリットの音を漢字にしたものなんです





さて、「寿限無寿限無」の後の「五劫」の、
「〜劫」は時間の長さを表す単位です。
四十里(157.092km)四方大の大きな岩に、
百年に一度天女が降りてきて、
天女の羽衣で岩を一撫でして、
また天にのぼって行きます。
百年経つとまた天女が降りて来て一撫でし、
天に帰るを繰り返す。
その岩が少しずつすり減り、
やがてなくなってしまうまでの時間が、
一劫(いっこう)というんですって。
つまり五劫はその五倍であり、
億劫(おっくう)はその一億倍・・・
気軽に「億劫だなぁ。」なんて言えないでしょ。(笑)




古典落語寿限無は、川だか井戸だかに落っこちて、
長い名前が故に助けられず命を落とすというブラックなオチですが、
さすがは小学生の落語です。
寿限無が殴った友達のタンコブが、
名前を言っている間にひっこんじゃうところでオチでした。




お寺の和尚さんがおめでたい言葉を選び、
親がそれを全部くっつけて名付けた設定ですから、
本当は「無量寿」のほうがぴったりくるんですが、
最後にオチで子供を殺しちゃいますから、
バチあたりにならないように、
寿限無」って言葉を創作したんじゃないのかなぁ。
なんて、勝手な想像をしております。



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