西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

雉子神社

祭神 日本武尊天手力雄命・大山祗命
141-0022 品川区東五反田1-2-33




さて今日は新規顧客獲得の為のセールスDay。
以前は二人一組になってチームを組み、
「飛び込み→門前払い→不貞腐れる」
と、いう心の傷を舐め合いながらやっていた企画です。
つい先月までの私の相棒はタヤパンでした。
しかし先日、事業部最高責任者から、
仲良し倶楽部のような営業チームは解体せよ。
と、いう命を受け「主任」以上は個人営業という形式になりました。
タヤパンは主任です。
主任以下はそれぞれ副園長配下に分配され、
私とジャラオ(元アリエネー)が新しくチームとなった次第です。




そんな訳で今日はジャラオと二人出掛けます。
彼の運転で、日本橋、赤坂、渋谷と廻り、
目黒を経て、五反田を経由しての帰り道、
国道1号桜田通り左側に、
前々から気になっていた神社を見かけて思い出し、
無理を言って急にUターンをさせて、
一人で足早にお参りしてみました。




→ 「仕掛人・藤枝梅安」シリーズ




池波正太郎作「仕掛人・藤枝梅安」。
その梅安が棲むのは、
江戸の外れにある「雉子の宮」の近くの、
「風雅な構えの小さな家」です。




雉子神社 鳥居




その「雉子の宮」が、
この桜田通り沿いに建つ、
大きな「白雉子ビル」に飲み込まれた神社であることは、
知識としては知っていました。
現代的な大きなビルの北東の角に鳥居と石段があります。





そもそもこの神社。
古くは荏原宮と称され、
文明年間(1469〜1487)の頃には、
大鳥明神、山神の社とも呼ばれていたそうです。
慶長年間(1596〜1615)三代将軍徳川家光公が、
この荏原辺りに鷹狩り来られた時、
一羽の白雉がこの社地に飛び入ったのを追い、
この社に詣でて「以後雉子宮と称すべし」としたんだとか。
この私の大嫌いな生まれながらの将軍家の三代目。
まったく偉そうに・・・。何様のつもりだぁ・・・。
・・・はい、征夷大将軍様でございます。(笑)





主祭神は、大鳥明神の名のしめす通り、
日本武尊のようですから、
酉の市が行われても然るべきですが、
ここでは行われていないようです。
天手力雄命は天岩戸を開け、
天照大神を引き出した力の神。
大山祗命は山の神、そのものずばりです。




雉子神社 拝殿・本殿




ビルに飲み込まれたように建つ神社ですから、
境内は、拝殿・本殿の上を除き、
ビルが上に建ちまるで全天候型球場のような、
屋根代わりの役割になっています。




三柱神社




拝殿・本殿の左奥に建つ、
境内摂社は、「三柱神社」。
祭神は大国主命倉稲魂命埴山姫命
つまり大国様、お稲荷様と、土の神を祀ります。





手水場




境内にビルという屋根の建つ境内ですから、
この手水場には、手水屋といった屋根はありませんが、
どうやらカラスが行水するらしくて、
まるでアイスクリームケースのような、
ガラスの蓋がついてしました。
ここまで、鳥にご縁のある神社ですから、
カラスの行水くらい許してはどうですか?。(笑)




ビルの裏には、神仏分離前の神宮であったであろう、
天台宗の寶塔寺さん。
この辺りは高級住宅地「城南五山」の一つ、
「島津山」と呼ばれています。
この「城南五山」は他に、
「御殿山」、
「池田山」、
「花房山」、
「八つ山」の四つになりますが、
さほど深い歴史のある地名ではありません。
この地は元々江戸時代は仙台伊達藩の下屋敷でありましたが、
明治時代以降は、旧薩摩藩主の島津公爵の邸宅があったから
この名が付きました。
元々の地名だった「袖ヶ崎」の名を冠する神社が、
桜田通り北東にありますが、
現在はこの雉子神社の兼務社となっています。




いけねぇ。
またまた、真面目な神社記事を書いてしまった・・・。
・・・あんまり評判がよくないんですがねぇ。




にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ ← 二つのブログランキングに参加しております。
人気ブログランキングへ ← よろしかったら応援クリックをお願い致します。