ヤン・ヨーステン記念碑

103-0027 中央区日本橋3-4と、
104-0031 中央区京橋1-1の境界上 





今日午後一番の会議は急遽ご家老の都合で中止になったものの、
夜は私がリーダを勤める殿直轄のプロジェクトの最終回です。
会議終了後は、お決まりの納会となって、
最近珍しい三日連続・日付変更間際の深夜帰宅となりました。
そんな訳でさすがに今日はもう限界。
文章を書くのは不可能で、
とりあえず、タイトルと写真で失礼しました。
・・・という訳で、
一日遅れの記事のアップでございます。




→ 三浦按針屋敷跡



オランダ船、リーフデ号で遭難して、
日本に帰化したイギリス人、
ウィリアム・アダムスこと、
三浦按針の江戸屋敷跡は昨日記事にしました。




その記事でも触れましたが、
同じリーフデ号で漂着したオランダ人、
ヤン・ヨーステンこと、
耶楊子(ヤヨウス)の屋敷跡が、
後に「八代洲」(ヤヨス)となって、
現在の「八重洲」(ヤエス)になったのです。
そんな訳で、この記念碑もここに紹介します。




八重洲通り 平和の鐘



東京駅八重洲口正面から、
まっすぐに伸びる通りは、
この「八重洲通り」。





ヤン・ヨーステン記念碑 案内板



このグリーベルトにある、
中央区の建てた「平和の鐘」のすぐ下に、
ヤン・ヨーステン記念碑」があります。
日蘭修好380周年を記念して、
平成元年(1989)に建てられました。




ヤン・ヨーステン記念碑



あまり多くの資料もありませんが、
この肖像のレリーフ部分は、
オランダ人、L.P.ブラートさんの作成とか。
完全に半立体の形状ですから、
カテゴリー【銅像】にも分類しましょう。
でも首の下に水が溜まっちゃっていますよ。
これは作成者の意図とは、
ちょっと違う角度の展示だったんでしょうね。



ヤン・ヨーステン像リーフデ号




さて、ヤン・ヨーステンも、
三浦按針と同じく、
徳川家康に気に入られ、ここに屋敷を拝領し、
日本人と結婚するものの、帰化はせず、
朱印船貿易で、帰国交渉に奔走しますが、
ついに、かなわず、
現在でいう、ジャカルタから日本への帰路に、
インドネシア座礁して亡くなってしまいます。



荒れ狂う海を越え、極東に流れ着き、
文字通り、名を残した按針とヨーステン。




400年前の男たちにロマンを感じてしまいます。





人気ブログランキングへ ← 二つのブログランキングに参加しております。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ ← よろしかったら応援クリックをお願い致します。