男の仕事、男の一生について


今日は、一昨日に亡くなった、
元・同僚の告別式に参列する為、
西武新宿線狭山市駅近くにある、
曹洞宗の寺院のホールへと参りました。
しかしその祭壇には、
阿弥陀如来」と「南無阿弥陀仏」。
そして中央の位牌(?)には「釈明信」という法名があります。
どうやら導師は真宗大谷派の僧侶のようです。




さて、故人マシチャンは、
大変お世話になった大好きだった先輩です。
誰からも好かれる本当に素晴らしい人格者でした。
そう、マシチャンはよく後輩を自分の家に招きました。
それに誘われて図々しく伺った者は私を含めて多数です。
高校の同級生だった奥さんと二人のかわいい娘さん。
とても素晴らしい家庭・家族そのもので、
いつも微笑ましく、羨ましく思いました。
お兄さんの経営する調布の美味しい中華レストランにもお邪魔したっけ・・・。




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しかし、あれは八年前のこと・・・。
当社当事業部80年の歴史上、
最低最悪の悲劇となった、大きなアクシデントに、
たまたまシフトが関っていたことで、
阿呆な上司に結果論で原因・要因を責め立てられて、
マシチャンは黙って当社を去りました。




その後、時間外労働の多く、
賃金の安い再就職に就き約二年。
寒い冬の早朝に、突然クモ膜下出血という病魔に倒れました・・・。
・・・六年間の壮絶な闘病の末についに一昨日斃れ、
マシチャンは極楽浄土へと旅立ちました。
・・・享年57歳。



告別式・初七日の後、お別れの儀・・・。
真宗なので、白装束も着ず、
平服で棺に横たわっていたマシチャン。
六年間の激闘に力尽き、その容姿は変わり果てておりましたが、
どこか安心したかのような、まさに仏様のお顔がありました。
でもそのお顔を見るとなぜだか涙が止めどなく流れました。





マシチャンがこの病気の起因になったのは、
あのアクシデントとその責任追求だったのか、
それとも再就職先でのハードな時間外労働か、
はたまたその個人的な食生活だったのか・・・?。
元々お酒のほとんど飲めなかったマシチャンですが、
いつも一緒に食事に行くと、
必ず何にでも醤油や塩をかけていました。
あの時なんでもっと私はそれを諌めなかったのか。
禁煙も勧めたこともありますが、
倒れる数ヶ月前のこと、笑って相手にされなかった、
町屋の飲み屋でのワンシーンが思い出されます。




結局、そのマシチャンが、
なんでこの病魔に倒れたのかは、
今となってはもう不明ですが、
よく現役バリバリの方の突然の死の、
参列者の多い大きな葬儀に出て、
男が死ぬなら現役時代が華だな。
・・・なんて、言葉をよく耳にしますが、
実際どうなんでしょうか・・・。
いくら社会的地位のある時に亡くなって、
義理で集まった多くの参列者たち・・・。
そして多くの他の社会的地位のある方々の参列や、
献花や弔電があったところで、
そんなもん、死んだもんにとってなんの名誉になるものか。




身近に最近、息子の結婚式が終わるまで、
当社の役員の肩書きを残したいというおっさんがいるのことは、
とても嘆かわしい限り・・・。
無職になったあなたの葬儀にはいったい誰が参列するだろうか・・・。




さて、マシチャンの今日の葬儀。
私も含めて、参列者も、献花も弔電も、
大した肩書きもない者ばかりで、
その数も少なく、一見すると寂しい告別式に見えます。
しかし参列者全員が心からマシチャンの為に涙を流し、
心よりマシチャンを偲び、送りました。
見せかけばかりの大人数の葬儀とは質が違います。




こんな温かい葬儀に送られたいと、私も心より思います。
ただそれはマシチャンの短いながらもその充実した一生と、
あの温かい人格があったからこそ・・・。




おいらはどちらも無理かもしれない・・・。




・・・マシチャン闘病、本当にお疲れ様でした。
真宗では"眠る"、"冥福"は禁句だと聞きますが、
マシチャン、どうか、安らかにお眠りください。
そして心よりご冥福をお祈り申し上げます。
またいつかどこかで必ず会いしましょう。
私はけしてそれまで絶対にマシチャンを忘れません。




倶会一処




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