葬儀の「清め塩」について


→ 枝折りのみち - はかもと(無縁彷徨)は引っ越しました



はてなアンテナに入れて、
いつも読ませて頂いている、
こちらのブログにこんな記事がありました。
浄土真宗の考え方ですね。
宗旨なので文句を言うつもりはないんですが、
神仏習合のスチャダラ・ブロガーとして、
僭越ながら「清め塩」側の弁護を一言。




確かにおっしゃる通り、
仏教の教えでは、生老病死の四苦にもう四苦、
愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦が加わって四苦八苦。
この愛するものと別れ離れる苦しみですから、
生と死は同一であり、
神道イザナギイザナミの別れが表わす、
「死=穢」といった考えはありません
そもそもはこの「清め塩」といった風習は仏教になく、
神仏習合が生み出した慣習なのかもしれません。
しかしこの「清め塩」を嫌う考え方は、
かつて神仏分離で虐げられたことによる、
神道に対する逆恨みのような気がしてなりません。




そもそも真宗はこの「清め塩」を何と考えているのだろうか。
「故人に対して失礼。」???、
それっておそらく「塩」を、故人に死を与えた"穢れ"の除去、
つまり病原菌やウイルスを殺菌する、
消毒剤といったものとして仮定しているんじゃないのでしょうか。
だとすれば、それは違います。
そもそも神道に用いる「塩」とはなにか。
もちろんこれは「清め」とされているものの、
その神前にも必ず水、米や酒と伴に捧げられる供物そのもの。
けして、酒=アルコールや塩=塩化ナトリウムが「消毒剤」ではないんです。
そう塩はもちろん僅かな殺菌作用があるものの、
それは過剰摂取や浸透圧の作用に過ぎず、
塩は生物が生命を維持する為には、
水と共に最も不可欠な物質の一つです。
実際、塩素ならともかく、
塩が殺菌出来る菌やウイルスなどほとんどありません。
(第一種衛生管理者談w)




ですから私は、私独自の勝手な解釈ですが、
あの葬儀の参列後の「清め塩」は、
悲しみにくれて涙も枯れ果てた参列者に対する「生命力強化剤」と考えています。
もちろんあの「般若湯=アルコール」もその一つ。(笑)
穢れ」を「清める」を「消毒」と混同するとおかしくなります。
気枯れ」を「気良める」が、そもそもの語源です。




そうそうドラマやコントでよく、
嫌な客を追い返す店主が「母さん、塩だ。
と、いうあれも「清め塩」を誤解させているのかもしれません。
そもそもあれは神道にはない俗習です。
大相撲が土俵にまく塩も「消毒」ではないでしょう。



ま、浄土真宗は専修念仏。
南無阿弥陀仏」に、確かに「清め塩」は必要ありませんね。
でも今では仏教儀式に不可欠な焼香・線香も、
そもそもは遺体の死臭を紛らわすものだったという説があります。
どちらかというと現代ではこちらの方が故人に対し、
失礼という感じもしなくともなりかねない。
・・・いやいや、これは蛇足でした。




久しぶりに理屈っぽい記事を書きまして、大変失礼致しました。





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