国指定史跡 若松城跡
開城時間 8:30〜17:00(入城締切16:30)
入場料 茶室麟閣共通券 510円
休館日 無休
965-0873 会津若松市追手町1-1
公式サイト http://www.tsurugajo.com/
当初はサクッと会津鶴ヶ城を見学して、
写真をアップするだけのつもりでしたが、
予想に反して只今会津若松は、
桜前線の真っ只中。
この通りの春爛漫の満開で、
市役所の前からお城に向かう通りは大渋滞。
満開の会津の桜と、鶴ヶ城。
花の雲に浮くかのような天守閣も見事。。。
昭和四十年(1965)の天守閣の再建から、
今年で丁度五十周年。
現在の登城入口は、
昔のB1の地下倉庫・塩蔵ですが、
残念ながらそちらと一二階の一層二層の、
企画展と歴代藩主の資料は写真撮影が禁止です。
戊辰戦争・白虎隊の幕末期を中心に紹介した三層、
会津ゆかりの先人を紹介する四層で写真撮影が解禁。
第五層の天守閣最上階、
ここから眺める会津の桜と城下町の景色を一望。
嗚呼、本当に素晴らしい。
(ただお花見のブルーシートだけは残念。)
天守閣から磐梯山を望みます。
そして足元には最近復原されたばかりの、
走長屋が連なる先に干飯櫓。
走長屋の入口にはNHK大河ドラマ、
「八重の桜」の実物衣装が展示されていました。
まだまだ会津は綾瀬はるかさんに、
おんぶに抱っこに肩車。
復原された南走長屋と、鉄砲足軽の人形展示。
突き当りの干飯櫓は防衛の拠点兼食料庫だったようです。
この干飯櫓から望む天守閣も見事。
城址本丸の一番南東の隅にあるのは、
この「荒城の月」の歌碑です。
春高楼の花の宴
めぐる盃影さして
千代の松が枝わけ出でし
むかしの光今何処
秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁の数みせて
植うるつるぎに照り沿ひし
昔の光今いづこ
今荒城の夜半の月
変はらぬ光誰がためぞ
垣に残るはただかづら
松に歌ふはただ嵐
天上影は変はらねど
栄枯は移る世の姿
うつさんとてか今もなほ
ああ荒城の夜半の月
名曲「荒城の月」は、
土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲の歌曲ですが、
土井が詞を構想したとされるこちらと、
仙台の青葉城址、岩手県の九戸城址の他に、
瀧が曲を構想したとされる、
大分竹田の岡城址、富山の富山城の、
それぞれ五ヶ所に歌碑が設置されているとか。。。
しかし明治七年(1874)取り壊し寸前の、
この戊辰戦争の砲弾にさらされて、
痛々しく傷付いた天守閣の古写真を見ると、
あの「荒城の月」の、
哀愁を帯びたメロディと歌詞は、
やはりここが元祖ではなかったのではないか?
と、思ってしまいます。
さてなんも考えないで共通券を買ってしまいましたが、
この本丸の隅に会津若松市市政90周年を記念して、
ここに復元されたのはこの茶室・麟閣です。
切腹を命じられた千利休の子・小庵を匿った、
当時の会津城主・蒲生氏郷。
少庵は後に京に帰り、
その子の宗旦に引き継がれて、
その孫によって、武者小路、表、裏の、
三千家の源となります。
改めて案内板越しに眺めみる会津鶴ヶ城の全景。
芦名家、伊達家、蒲生家、
上杉家、加藤家、保科家と、
歴代会津藩主変遷の、
悠久の歴史に想いを馳せました。
【参加者のブログ記事】
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