千祥寺 〜大神宮義民七人様供養碑〜

本尊 宝生如来
宗派 真言宗智山派
294-0233 館山市大神宮704-1




千祥寺下  千祥寺




忌部塚のすぐ東の隣に、
真言宗智山派の千祥寺がありました。



大神宮義民七人様供養碑





ここの墓地にこの、
大神宮義民七人様供養碑があります。




寛文十二年(1672)のこと。
大神宮村領主である旗本・河野三左衛門は、
年貢を引き上げた上に、
村人の山支配を禁じました。
延宝七年(1679)から、
三年にわたる大凶作で、
生活に窮した農民十五名は、
江戸の河野家に押しかけて、
年貢減免を二度門訴するも、
訴えた農民全員を、
所払いの上家財没収。
次に天和二年(1682)、
名主・小柴三郎左衛門と、
平兵衛、久助、市郎兵衛、
伝三郎・六左衛門・七左衛門の七名が、
江戸奉行所に直接訴えるも、
一人の農民が裏切って敗訴。
七名全員が斬首され、
家財は全て没収、
家族は追放となってしまいました。
村人は密かに墓石を建てその英魂を弔い、
133回忌に当る文化十一年(1814)にも、
供養碑を再建しますが、
それもいつしか地下に埋もれていたとか。。。
時は再び過ぎて流れ、
大正十一年(1922)、
壇徒が境内を清掃中に台石と竿石を発見し、
それが七人の墓石であることを、
確認して修復したものがこちらです。





国道410号の切通し  行程図




さて再び国道410号に戻り、
無事に館山市街の無料駐車場に戻りました。
あれ、なんか腹がペコペコ。
あ、昼飯食うの忘れてた。
Σ(・□・;)