国指定史跡 元興寺極楽坊境内
宗派 真言律宗
本尊 智光曼荼羅
630-8392 奈良市中院町11
公式サイト http://www.gangoji.or.jp/
コンビニのおにぎりをかじりながら、
中宮寺跡を横目にJR法隆寺駅に戻りました。
さてここからまた大和路線に乗り、
JR奈良駅に移動します。
さてお次の目的地は元興寺です。
気温30℃を越える奈良市街をトボトボ歩き、
北の門碑を右折して北門に突き当たって、
左に回り込み東側の東門へ。
この元は東大寺西南院四脚門だったという、
重文・東門の南側に受付があります。
さてこの辺りで元興寺について、
詳しく説明せねばならないでしょう。
そもそも元興寺は、
日本最古の本格的仏教寺院である、
蘇我馬子が飛鳥に建立し法興寺がその前身で、
平城京遷都に伴って移転し、
名を元興寺と改めたものです。*1
東大寺、興福寺と並ぶ、
南都七大寺の一つの大寺院でしたが、
中世以降に次第に寺運が衰退して為、
巨大な寺域は分離してしまい、
現在、元興寺と名乗る寺院は、
なんと二つになってしまいました。
その一つがこちら北側の、
奈良市中院町の元興寺で、
昭和五十二年(1977)までは、
「元興寺極楽坊」と称していました。
西大寺の末寺となり、
宗派は真言律宗です。
一方、五重塔や観音堂があったという、
南側の奈良市芝新屋町の一部は、
東大寺の末寺となり、
宗派は華厳宗となります。
現在、真言律宗の元興寺は、
「元興寺極楽坊」という名称を改め、
「真言律宗・元興寺」と称していますが、
混乱を避ける為、当ブログでは、
門碑にあった「極楽堂・僧房」を、
カッコで記載させて頂きました。
東門をくぐると正面は、
鎌倉時代の国宝・本堂の極楽堂、
極楽坊本堂、曼荼羅堂とも呼ばれ、
本尊は仏像ではなく智光曼荼羅です。
中央曼荼羅の前の左右の柱に、
「柱刻寄進文」があるのに注目して下さい。
内部は板敷きの内陣の周囲を、
畳敷きの外陣がぐるりと囲んでいて、
内陣の周囲を念仏を唱えながら歩き回る、
「行道」が出来る構造になっています。
さて一旦本堂を出て、
本堂の南にあるのは、
宝物殿である法輪館。
こちらも当然撮影禁止ですが、
建築物として国宝指定されている、
五重小塔や、重文の仏像の数々は必見。
この法輪館の前に、
旧講堂の礎石があり、
東西に長く石塔石仏群の、
「浮図田」があります。
さて先ほどの本堂と、
その西に隣接する、
やはり国宝の禅室の屋根のこの部分。
是非境内の南西側からご覧ください。
飛鳥時代、奈良時代の、
古代瓦が混在して使用されています。
そしてその国宝・禅室です。
春日影向堂、北宅経蔵とも呼ばれていますが、
要するに僧が禅を組み生活した僧坊です。
数年前の調査でなんと飛鳥時代初期の、
用明天皇元年(586)頃に伐採された、
ヒノキが使用されていることが判明しました。
現存の法隆寺よりも約100年前の、
世界最古「現役」の木造建築部材なんだとか。
・・・びっくりたまげた。