宗派 浄土宗西山禅林寺派 総本山
本尊 阿弥陀如来(みかえり阿弥陀)
606-8445 京都市左京区永観堂町48
公式サイト http://www.eikando.or.jp/
さてさて本日は「新嘗祭」。
本来、五穀豊穣を感謝する日であって、
戦後GHQがなんやよー分からずに、
「国家神道」色を消し去ろうと、
「勤労感謝の日」に改称しました。
と、いう訳で、ワタシ、
今日は京都で神社仏閣に詣でて、
神仏に感謝することに致しましょう。
またまた嬉しくって、
無駄に早く起きてしまい、
祝日は新快速のない時間帯、
6:43発快速で新大阪を出発。
7:13に京都駅に到着しました。
なんとなく紅葉メインで行動するという以外、
あまり計画を練っていなかった今回の京都探訪。
電車の中ちょこっとiPhone7で調べると、
どうやら蓮華王院三十三間堂が、
8:00から参拝出来るようなので、
ぷらぷらとお散歩がてら鴨川を渡ります。
蓮華王院三十三間堂の南側、
重文・南大門に辿り着きました。
こちらもまだ参拝時間ではありませんが、
血天井で有名な養源院の門が開いていたので、
失礼して紅葉を拝見させて頂きます。
わおっー凄いとてもキレイ。
さて7:50になりましたので、
三十三間堂の受付に向かうも、
参拝時間は季節により変わるようで、
今の季節はなんと9:00からなんだとか。。。。
養源院もすぐ近くの京都国立博物館も、
どうやら同じ参拝時間のようデス・・・。
1時間以上何もやることがないもので、
とりあえず今日一番行きたいと思っていた、
最も北にある永観堂に向けて歩いてみよう。
距離にして約4km強、
到着する頃に丁度朝九時になるでしょう。
京都の町中には紅葉が多くてとても美しい。
白川沿いに歩いて、
一本橋で有名な古川町橋を渡り、
嗚呼、贅沢な大人の散歩道。
計算通りほぼ九時に永観堂に到着しました。
しかし長蛇の列が出来ていたようで、
もうすでに公開しているようです。
・・・そりゃねーよなぁ。。。
だったらバスがタクシーで早く来たのに。
(;^_^A
さてここ永観堂禅林寺は、
弘法大師空海の弟子・真紹により、
仁寿三年(853)に創建された古刹です。
当初はもちろん真言宗のお寺でしたが、
創建から約220年後、
中興の祖である七世・永観が、
阿弥陀信者となり、
徐々に浄土教色を強め、
十二世の静遍が法然に帰依して、
念仏門に入り、
真言宗から浄土宗に改宗します。
十三世は法然の愛弟子・証空を迎え、
後にこの証空を派祖とする、
浄土宗西山禅林寺派の総本山となります。
なお永観律師の時代に、
病人救済などの慈善事業を行いまして、
「永観堂」という通称が根付きました。
ちなみに「永観堂」は、
「えいかんどう」と読みますが、
僧侶「永観」は「ようかん」が正しい音とか。
その昔、永観律師が、
この梅の木に実がなるのを待ちかね、
貧しい病人に施したといわれる梅の木は、
「悲田梅」と名付けられて、
今もかわいらしい実をつけるとか。
古方丈、瑞紫殿、釈迦堂、御影堂と、
伽藍をめぐり最後は本堂である、
阿弥陀堂に辿り着きます。
この建物は慶長二年(1597)、
大坂からの移築なんだそうで。
この阿弥陀堂に、
ワタシがずっと憧れていた、
永観堂「みかえり阿弥陀」こと、
禅林寺本尊の重文の、
阿弥陀様がおわします。
この通りお顔を左下に向けた、
特異なお姿の阿弥陀如来立像。
永保二年(1082)、
五十歳だった永観が、
日課の念仏を唱えながら、
阿弥陀如来を祀る、
須弥壇の周りを回り、
念仏行道をしていたところ、
突然阿弥陀如来が壇から下りて、
永観の前を歩き始めたとか。。。
驚いた永観が歩みを止めると、
阿弥陀如来は左に振り返って一言、
「永観遅し」と言ったそうで。。。。
それ以来首の向きが元に戻らずに、
そのままの姿で安置されているのが、
こちら見返り阿弥陀なんデス。
う〜ん。阿弥陀如来版の、
「テッド」?いや「チャッキー」か?!。
今も急に歩き出すのを怖れているのか?
金網越しの厨子はとても残念でございました。
古より「秋はもみじの永観堂」
と、呼ばれるこちら。
さすがに紅葉が圧巻の美しさ。
境内の最も高い位置にある多宝塔は、
昭和三年(1928)篤志家の寄付による建立。
紅葉に良く似合います。
三鈷の松の松葉を、
お土産に頂きました。
これ高野山にもありましたけど、
とても珍しいものらしい。。。
松葉はお守りになるそうですが、
持ち帰って父の仏壇に供えます。