【関東第十三番】大聖山 東朝院 南谷寺 ~目赤不動尊~

宗派 天台宗
本尊  阿弥陀如来不動明王
113-0021 文京区本駒込1-20-20





⇩ ⇩ ⇩



目赤不動尊とPCX150  



目白不動金乗院から、
本駒込目赤不動南谷寺にお参りしました。
コチラは元和二年(1616)、
比叡山の南谷にいた万行律師によって開基。
熱心な不動明王の信仰者であった万行は、
夢で伊賀国の赤目山に行くようにお告げがあり、
赤目山の山頂で祈願をすると、
一寸二分ほどの黄金の不動明王像を、
天から授かります。
その後、江戸・下駒込に庵を結び、
その不動明王像を安置。
この不動堂の前の坂道は、
「不動坂」と呼ばれ、
現在は「動坂」と呼ばれています。
寛永五年(1628)鷹狩で徳川家光が訪れ、
それまで「赤目不動」と、
呼ばれていた不動明王を、
目黒不動目白不動にちなみ、
目赤不動と呼ぶように言われ、
現在のこの地を与えて、
大聖山東朝院と号するようになり、
天明八年(1788)には、
寛永寺の直末寺になって、
南谷寺の寺号が与えられます。




本堂  不動堂




本尊・阿弥陀如来を祀る本堂は、
昭和三十三年(1958)再建。
目赤不動を祀る不動堂は、
昭和五十八年(1983)の再建ですが、
阿弥陀如来目赤不動ともに、
いずれも戦災を免れました。




目赤不動尊



さて、これにて、
江戸三不動(目白・目黒・目赤)と、
目黄不動・永久寺(台東区三ノ輪)を除く、
江戸五色不動も結願致しました。
永久寺もいつかはお参りしたいです。





→ 目黒不動 瀧泉寺(東京都目黒区下目黒)
→ 目白不動 金乗院(東京都豊島区高田)
→ 目青不動 教学院(東京都世田谷区太子堂)
→ 目黄不動 最勝寺(東京都江戸川区平井)




第13番ご朱印



⇩ ⇩ ⇩

⇩ ⇩ ⇩




【関東第十四番】神霊山 金乗院 慈眼寺 その二 (東豊山 浄滝院 新長谷寺 その二)  ~目白不動尊~ 丸橋忠弥墓・青柳文蔵墓

宗派 真言宗豊山派
本尊  聖観世音菩薩
171-0033 豊島区高田2-12-39



神霊山 金乗院 慈眼寺 → 【その一【御府内第三十八番】
豊山 浄滝院 新長谷寺 → その一【御府内第五十四番】









PCX150で都内イチの急坂を下り上りまして、
目白不動にお参り致しました。




金乗院とPCX150



さて金乗院にトウチャコしました。
とても長いブログタイトルになりましたが、
コチラにも複雑な事情があります。
まずワタシがこちらに、
ご朱印を頂きに参拝したのは、
江戸三十三観音・第十四番、
御府内八十八ヶ所・第三十八番、
御府内八十八ヶ所・第五十四番と、
四回目になりますが、
厳密にいえば、
御府内八十八ヶ所・第三十八番は、
神霊山・金乗院・慈眼寺。
御府内八十八ヶ所・第五十四番は、
豊山・浄滝院・新長谷寺になります。
要するに昭和二十年(1945)の戦災で、
ここから東に1kmの文京区関口駒井町にあった。
長谷寺は焼失して、
金乗院に合併されたのです。
今回の目白不動尊は、
その新長谷寺の本尊でした。



山門



この山門は約200年前の建立とされていますが、
昭和二十年(1945)の戦災で屋根を焼失。
昭和六十三年(1988)に銅板葺きに復元されたもの。



本堂



本堂は昭和四十六年(1971)の再建で、
平成十五年(2003)の全面改修。
高さ7cmの秘仏の聖観世音菩薩が祀られています。




目白不動堂  目白不動前立本尊



目白不動尊は、
こちらの階段上の不動堂に祀られています。
まるで神社の拝殿・本殿のような形式で、
"拝殿"にあるものは前立本尊。
おそらく"本殿"にある本尊は、
江戸三不動(目白・目黒・目赤)の第一位、
東都五色不動の随一と称され、
弘法大師作・高さ八寸(約25cm)の秘仏
明王自ら左腕を断ち切り、
そこから火焔が噴き出しているという、
独特のお姿です。




鍔塚  倶利伽羅不動庚申



寛政十二年(1800)建立の刀剣供養の鍔塚、
寛文六年(1666)建立の倶利伽羅不動庚申など、
見所の多い境内。



青柳文蔵墓  丸橋忠弥墓




また墓地には、
日本最初の公開図書館を作った青柳文蔵や、
由井小雪と幕府転覆を企てて磔刑にされた、
丸橋忠弥の墓があります。



第14番ご朱印




⇩ ⇩ ⇩

⇩ ⇩ ⇩

⇩ ⇩ ⇩





【関東第二十六番】五智山 遍照院 總持寺 ~西新井大師不動堂~

宗派 真言宗豊山派
本尊  十一面観世音菩薩、弘法大師
123-0841 足立区西新井1-15-1
公式サイト https://www.nishiaraidaishi.or.jp/






⇩ ⇩ ⇩

⇩ ⇩ ⇩

⇩ ⇩ ⇩

⇩ ⇩ ⇩



西新井大師とレブル1100



皿沼不動・永昌院から、
五色桜通りを進み、
尾久橋通りに右折して、
環七北通りに左折。
西新井大師の裏門に出ました。
出入口にいた係員の方に、
バイク駐輪場を尋ねると、
本堂脇と停めてよいと言われて、
お言葉に甘えます。
足立区民だった頃には、
度々お参りした西新井大師ですが、
何年ぶりのお参りだろう。
妻の大厄の後厄参り以来だから、
おそらく18年ぶりの参拝です。




山門  阿吽の金剛力士


さて、一旦境内の外に出て、
山門から改めて入り直します。
山門は江戸時代後期の建立。
両脇に阿吽の金剛力士像を祀る仁王門。。



本堂




昭和四十七年(1972)落慶の本堂は、
ご本尊の十一面観音と弘法大師を祀ります。
今回は不動霊場巡礼なので、
こちらはご挨拶のみで失礼致します。
コチラの縁起は、弘法大師空海が、
関東巡錫の途中に西新井を通った際に、
本尊の十一面観音を彫って、
天長三年(826)に建立したと伝えられています。
その弘法大師によってもたらされたとされる、
加持水の井戸が西新井の名の由来です。
実際、空海は関東巡錫はしていないと思いますが、
おそらくそれに準ずるような高僧が訪れて、
観音像を彫り井戸を掘ったのかもしれません。



不動堂



こちらの不動堂が今回の札所ですが、
こちらも残念ながら非公開。。。



三匝堂



この朱塗りの三匝堂は、
明治十七年(1884)建立の足立区指定文化財
都内に残る唯一の栄螺堂なんですが、
こちらも現在は内部非公開。
そうそうコチラは、
国宝・重要文化財を多く所有するんですが、
ほとんど非公開や、
東京国立博物館委託なんだよねぇ。
宝物殿を作って公開してほしいなぁ。



御朱印所



なんとご朱印所は、
賽銭箱に自分でお金を入れて、
ご自由にお持ちください状態。
過去にこのような形態は見たことがありません。




第26番朱印




無事、ご朱印を頂きまして、
今日はこの辺で切り上げて帰宅しましょう。














【関東第二十五番】皿沼山 永昌院 ~皿沼不動尊~

宗派 単立(天台宗寺門派系)
本尊 不動明王
123-0862 足立区皿沼1-4-2
公式サイト https://eisyouin.com/







⇩ ⇩ ⇩

⇩ ⇩ ⇩

⇩ ⇩ ⇩



永昌院とレブル1100



志村不動・南蔵院から、
中山道を左折して環七に出て、
足立区の皿沼不動・永昌院にやって来ました。
足立区は習志野市に引っ越す前の古巣ですが、
ココにこんなお寺があったなんて、
全く知りませんでした。




僧守護童子の標石と本堂の階段  本堂内



江戸時代、この辺りは、
幕府直轄で舎人領と呼ばれていましたが、
寛永二年(1625)東叡山寛永寺の創建の際に、
皿沼は寛永寺の寺領となって、
その頃に永昌院も創建されたと伝わります。
創建当時は念仏講を中心に発展するも、
後に不動講が台頭して、
不動明王像もその頃に勧請されたそうです。
近年、この本堂の建立の際に、
日本最大級の不動明王像を造立したそうで、
写真中央の立像がそれですが、
その胎内に、江戸時代に勧請された、
不動明王像が納められているそうです。



第25番朱印




⇩ ⇩ ⇩











【関東第十二番】寳勝山 南蔵院 蓮光寺 ~志村不動尊~

宗派 真言宗智山派
本尊 十一面観世音菩薩
174-0052 板橋区蓮沼町48-8
公式サイト http://nanzoin.jp/








⇩ ⇩ ⇩

⇩ ⇩ ⇩




南蔵院とレブル1100



石神井不動・三宝寺から、
旧早稲田通りで環八に出て、
中山道に右折して、
志村不動・南蔵院にやって来ました。
コチラも豊島八十八ヶ所霊場の、
第三十四札所でもあります。




南蔵院境内  本堂



新井三郎盛久という人が、
ここ武蔵国豊島郡の志村庄に移り住み、
荒地を開墾して蓮沼村を開き、
宥照という上人を招いて、自らが開基・創建。
盛久の子孫が代々、村の年寄役を務めたとか。
また寛文二年(1662)に宥照が中興、
あるいは宥照の開山という説もあるとか。
本堂の本尊は十一面観音菩薩
またコチラも徳川吉宗が鷹狩の際に、
休憩で立ち寄ったと伝えられてます。




不動堂



昭和二年(1927)に、
近隣にあった命王山金剛院を合併したそうで、
元々不動堂はその金剛院のもので、
志村不動尊もそのご本尊だったとか。
詳しくはホームページをご覧ください。



第12番朱印




⇩ ⇩ ⇩

⇩ ⇩ ⇩