「ミカドの肖像」

倶利伽羅不動


ミカドの肖像(小学館文庫)

ミカドの肖像(小学館文庫)

猪瀬直樹氏の名著とされる20年前のこの作品は
堤義明氏の逮捕によって緊急文庫化されました。
今回の緊急文庫化は、現コクドがいかにして
戦後臣籍降下された旧皇族の土地を収得して
プリンス王国を築いたのか。という所にあるのですが、
私にはそんなことはどうでもよく、
この書を手にした理由は「ミカド」の「タブー」について
そのものです。



何度か書いてますが、明治以前、神社と密教の寺院というのは、
とっても仲がよいというか、「神仏習合」そのものでした。
元々、日本人は八百万の神を信じ、インドから中国を経て伝わった仏教も
その八百万の内の一つと考えていました。
また空海さんも、日本神道の「天照大神」は仏教の「大日如来」であると、
解釈していたようですから、
大きな神社の隣にある「別当寺(神宮寺)」といわれる寺院は
真言宗天台宗が多いです。
(逆に真言宗天台宗の大きなお寺の隣にはよく小さな神社があります。)
私も事実そう思います。太陽信仰は原始宗教ですが、
太陽系の外を知らない時代には、宇宙の中心そのものだと思うでしょうし、
すべては太陽の恵みという考えは本当に間違いはないはずです。
話しはそれましたが、とにかく江戸時代、神仏は混じっちゃってました。
浄土宗の熱心な信者の家康は、死後、東照宮大権現という神様になってます。
また、インドの大黒天と日本の大国主命は「だいこく」から混同されました。



しかし幕末、表舞台に登場してくるのが、尊皇攘夷のもと、
若き明治天皇をしょった薩摩・長州連合軍な訳ですが、
人々が忘れかけていた「天照大神」の直系の子孫
天皇」を「現人神」にするためには外国の「仏教」は邪魔なんです。
ここで「神仏分離」「廃仏毀釈」ってやつが始まっちゃいます・・・。
今回のこの八十八ヵ所の廃寺等による変更や、
石仏の首が折れているものや、顔の削られているものも
すべてこの時期に行われているんです。
これらの努力(??)によって無事(??)戦前の天皇制は確立し、
それを利用した軍閥は「皇国」「神国」と謳い、
日清、日露から太平洋戦争へとつながっていきます。


ですから私は「神仏習合」いーじゃん♪いーじゃん♪ぷっぷくぷー信者です。
だめ??

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