【坂東第十二番】華林山 最上院 慈恩寺 〜玄奘三蔵霊骨塔・玄奘三蔵像〜

宗派 天台宗
本尊 千手観世音菩薩
ご詠歌 慈恩寺へ 詣でる我が身も たのもしや うかぶ夏島を 見るにつけても
339-0009 岩槻市慈恩寺139
公式サイト http://www.jionji.com/





慈恩寺 山門



さて坂東巡礼2010の初日です。
朝6時20分に習志野を出発。
ほとんど渋滞もなく順調で、
岩槻の報恩寺さんに7時30分に到着しました。
納経所は大抵8時からの受付です。
先にお参りを済ませましょう。




慈恩寺 本堂
慈恩寺 本堂  慈恩寺 御前立




慈恩寺という寺号は、慈覚大師円仁が、唐に渡り、
首都長安(現・西安)の大慈恩寺で学んだことにあやかっているそうです。
その大慈恩寺は、玄奘三蔵が天竺から仏典を持って戻り漢訳したお寺です。
そんな訳なのか、なんなのか、
先の大戦中、日本軍が南京で偶然発掘した、
玄奘三蔵の霊骨の一部が、分骨されて、
ここに納められているとか・・・。
その玄奘三蔵霊骨塔は境内から離れた場所に独立してあります。
後ほど車で参りましょう。




さて、「華林山」という山号ですが、
開山の慈覚大師円仁が、日光からの帰途に、
仏教弘通の霊場あらば示し給え。
と、李の実を投げたところこの地に落ち、
一夜にして華を咲かせ実を実らせたとか。
初めの本尊はこの円仁が刻んだものだったそうですが、
後に焼失して、現在の観音様は慈眼大師天海が納めたものとか。
なんともこれから伺う日光とご縁の深いお寺です。




南蛮鉄燈篭




本堂前に、立派な南蛮鉄燈篭があります。
家臣が岩槻城主太田氏房の為に寄進したもののようで、
天正十七年(1589)の銘がありました。



銅造阿弥陀如来坐像




その隣には、銅造阿弥陀如来坐像。
こちらには宝永七年(1710)の銘がありました。



乃木希典書の「忠魂碑」




右の忠魂碑は、またまた筆まめ乃木希典さん。
東郷平八郎さんとあわせると、
坂東霊場で、彼らの二人の碑は何度見ただろう。



玄奘三蔵霊骨塔 入口
「心経故地」  「玄奘聖域」



さて、車で少し南に移動して、
玄奘三蔵霊骨塔にやって来ました。
中国様式の門があり、左右に、
「心経故地」「玄奘聖域」とあります。



玄奘三蔵霊骨塔 全体
玄奘三蔵霊骨塔 近景



御影石の巨大な十三重塔です。
さて、ここにはいかほどの霊骨が納められているのか。



玄奘三蔵像 遠景
玄奘三蔵像 近景



天竺への旅姿の銅像もありました。
没後一千三百四十余年、
ご本人もこんな東の果てに祀られるとは、
想像だにしなかったことでしょう。



玄奘塔建立60周年記念イベントのチラシ



近くこの塔の建立の60周年記念イベントがあるそうで、
そのチラシがあちらこちらに貼られていました



第十二番 朱印




お寺に戻ると八時を過ぎているものの、
札所は無人のままです。
しばらく待っているとやっと気づいてもらい、
無事納経を済ませ、ご朱印を頂きました。



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