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「最悪の将軍」(集英社文庫)

…んの最新文庫化が、 徳川綱吉を描いたこの「最悪の将軍」。 綱吉と言えばワタシが小学生の頃の教科書でも、 生類憐みの令で有名な「バカ殿」の代表格。 近年、功績が見直されつつありますが、 彼の評価を落としたのは、 「犬公方」だけではなく、 「忠臣蔵」こと「赤穂事件」に関わり、 四十七士に切腹を命じたこと。 → 「赤穂」関連の記事 → 「忠臣蔵」関連の記事 → 「決算!忠臣蔵」(新潮文庫) → 「七つの忠臣蔵」(新潮文庫) → 吉良邸〜墨田区本所松坂町公園〜 → 赤穂城跡・大石神社…

磐井神社

…。 江戸時代には、 徳川将軍家の帰依を得て、 「鈴ヶ森八幡宮」 とも、称されたとか。 本殿の右隣に江戸文人石碑群があり、 その石碑群と鈴石・烏石の案内があります。 鈴石・烏石ともに非公開で、 写真は拾い物ですが、 鈴石は、神功皇后が、 長門国豊浦の浜で見つけたもので、 香椎宮に納められましたが、 後に宇佐宮に移されて、 石川年足に授けられたとか。 年足の孫石川豊人が、 延暦年間(782〜806)に、 武蔵国守に任ぜられて、 こちらに奉納されたそうです。 この石を打つと、 鈴の…

江島神社 〜鎌倉・江ノ島サイクリング⑤〜

…年(1689)に、 徳川幕府五代将軍・徳川綱吉により、 本殿・幣殿・拝殿からなる、 権現造りの社殿が再建されました。 現在の社殿は、 平成八年(1996)の、 全面的な改修によるもので、 元禄当時の朱色が鮮明な、 社殿を再現しています。 平成二十三年(2011)には、 幣殿、拝殿の床板を張り替え、 御札授与所も再建され、 社殿脇には水琴窟を構えた、 庭園が開園しました。 江の島展望灯台、 "江の島シーキャンドル"を横目に、 奥津宮を目指します。 そして奥津宮は、 多紀理比賣命…

鶴岡八幡宮 〜鎌倉・江ノ島サイクリング③〜

…、 源実朝を殺害したという伝説がある、 "隠れ銀杏"という別名の大銀杏。 倒壊から約1か月後に、 再生への努力が実を結び、 若芽(蘖・ひこばえ)が、 確認されたそうですが、 現在の状況は不明です。 大石段六十段上にある、 本宮(上宮)は、 文政十一年(1828)、 徳川家斉が再建した流権現造で、 国の重要文化財。 正面は桜門でその奥に、 拝殿とつながった本宮があります。 扁額の「八幡宮」は、、 清水八幡宮の一の鳥居の、 扁額を参照したもので、 八の字が2羽の鳩になっています。

巨福山 建長興國禪寺 (建長寺) 〜鎌倉・江ノ島サイクリング②〜

…内には江戸時代に、 徳川将軍家の援助によって、 新築または他から移築されたものが、 多く残ります。 三門と仏殿の間には、 蘭渓道隆が建長寺創建の際に、 中国から持ってきた種子を、 捲いたと言われている柏槇があります。 樹高13m、胸高周囲6.5m、 樹齢推定約760年。←計算合ってる。 仏殿も重要文化財。 芝の増上寺にあった、 徳川秀忠夫人崇源院の、 霊屋建替えに際して、 譲渡されたもので、 正保四年(1647)の移築。 元々霊廟建築として、 造られたものなので、 この仏殿の…

「大名火消し ケンカ十番勝負!」(ハルキ文庫)

…殿 時をかける大名・徳川宗春」(実業之日本社文庫) → 「超高速!参勤交代 リターンズ」(講談社文庫) → 「引っ越し大名三千里」(ハルキ文庫) → 「幕末まらそん侍」(ハルキ文庫) → 「超高速!参勤交代」(講談社文庫) → 「土橋章宏」関連の記事 大名火消し ケンカ十番勝負! (時代小説文庫)作者: 土橋章宏出版社/メーカー: 角川春樹事務所発売日: 2018/12/13メディア: 文庫この商品を含むブログを見る ゴチャゴチャと、 余計なことを考えてしまう時には、 こんな…

「家康、江戸を建てる」(祥伝社文庫)

…庫を読む前だったので、録画はしておりますがまだ観ていません。題名の主語は「徳川家康」ですが、それぞれの話の主役「家康」はではなく、「川の治水」、「金貨」、「飲料水」、「石垣」、と、いった江戸の基盤を作り上げた、職人たちのオムニバスストーリー。最後に「天守」の話となり、秀忠が家康と語り、平和のバトンをつなげます。これを完全に現代人の視点の語り部が、淡々と紡ぎあげていきます。この展開が実に新鮮で斬新。ラストも胸熱でいいなぁ。ありそうであまりない、新しいタイプの歴史小説の傑作デス。

印度カリー きんもち

…聞けば、 「内府」で徳川家康デス。 (^。^) カレーは「チキン」「野菜」「えび」の三種のみ。 これにライスが+50円で大盛、+100円で特盛になり、 ライス少なめでトッピングが一つ無料になります。 辛さは調整は無料で、 目安として0・中辛〜10・辛口〜20・激辛で、 1つ刻み、20以上もOKとか。 「持ち帰り」と「店内」の背後霊が、 混雑して並ぶ複雑な行列。 席はコの字型に突き出たカウンターのみ。 卓上にはお冷のポット、スプーンと、 辛味調味料と福神漬けがあります。 チキン…

長等山 園城寺 (三井寺) 〜琵琶湖一周サイクリング(ビワイチ)二日日-1〜

…年(1601)に、 徳川家康寄進のものですが、 元々は奈良・比蘇寺のもので、 室町初期の建築とか。 一切経蔵も室町初期の建築で、 正面三間・側面三間、 一重・もこし付・宝形造りの桧皮葺。 三井寺山内には珍しい禅宗様で、 元々は山口・国清寺の経蔵で、 慶長七年(1602)、 毛利輝元により移築されたました。 輪蔵には高麗版一切経があり、 天井からは円空仏、 七体が発見されました。 今この円空仏は、 金堂の廻廊に展示されています。 霊鐘堂には大釜とともに、 「弁慶の引き摺り鐘」 …

多賀大社

…なり、 傘を持っていなかったおっさん二人は、 失礼ながら神前に背を向けて、 しばしの雨宿り。 一瞬雨が弱まったので、 絵馬殿へと戻りました。 ゾウはここの喫煙所でタバコ休憩。 ワタシは風雨で、 びしゃぴしゃになりながらも、 参集殿や奥書院、鐘楼、 徳川幕府寄進の大釜や、 豊臣秀吉寄進の金子で作られた、 太閤蔵などを見学しました。 余談ですが、 こちらのお守りは「しゃもじ」で、 「お多賀杓子」(おたがじゃくし) と 、呼ばれていますが、 これが「オタマジャクシ」の名の由来とか。

【関東第五番】清林山 仏乗院 金藏寺 (日吉不動尊) 〜鎮護国家道場〜

…寿老神の札所とか。 徳川家康・秀忠にも庇護されて、 別名を「鎮護国家道場」とも称するとか。 スゲーぢゃん。 山門をくぐると正面に本堂ですが、 開扉は元旦から一月七日までのみとか残念。 とても残念。 本堂の右には、 朱塗りの手水舎が、 とても良く目立つます。 本堂の左には、 この観音堂がありますが、 こちらもなんの案内もなく、 中を覗き込むも、 観音様は御簾の中の様子です。 歴史のありそうな石造の六地蔵。 そしてかなり古い、 板碑が三基並んでいます。 嘉吉四年(1444)の阿弥…

「スマイリング! 岩熊自転車 関口俊太」(中公文庫)

…殿 時をかける大名・徳川宗春」(実業之日本社文庫) → 「超高速!参勤交代 リターンズ」(講談社文庫) → 「引っ越し大名三千里」(ハルキ文庫) → 「幕末まらそん侍」(ハルキ文庫) → 「超高速!参勤交代」(講談社文庫) → 「土橋章宏」関連の記事 スマイリング! - 岩熊自転車 関口俊太 (中公文庫)作者: 土橋章宏出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2018/04/20メディア: 文庫この商品を含むブログ (1件) を見る 新作が出れば必ずチェックしている、 脚本…

大晦日 その十三

…転車博物館、南宗寺の徳川家康墓を訪問。 三月 月初、その関西二重生活が終了。 九ヶ月間で東京〜新大阪間の新幹線を、 なんと30往復、60回乗車。 この歳になって実に様々な経験が出来て、 とても貴重な人生の一頁となりました。 そしてその自分へのご褒美にRICOH GR IIを購入。 正直とても難しいカメラで、 あまり活躍の場は多くありません。 中旬、久しぶりに花見川CRをポタリング。 両岸の河津桜がとても見事でした。 四月 初旬、ケンヨーさんに触発されて、 フイルムカメラの名機…

【秩父第十二番】佛道山 野坂寺

…々は芝増上寺内の、 徳川霊廟にあったもの。 戦争中、空襲に遭って、 戦後に徳川家霊廟は、 改葬して一ヶ所にまとめられたので、 その跡地を取得したプリンスホテルは、 その石灯篭を地元の所沢に運びますが、 西武球場建設時に処分されて、 配布されたものなんだそうです。 要するに秩父三十四ヶ所霊場とは、 全く縁もゆかりもない代物です。 今日はここから。札所 12番 野坂寺。 pic.twitter.com/d68u7yyzHZ— ぞう@千葉県に山はない。 (@zou059) 2017…

「荒神」(新潮社文庫)

…に取りました。 時は徳川綱吉の治世、 江戸は生類憐みの令に苦しむも、 太平の世である元禄年間、 表向きには主藩・支藩の関係にある、 東北の隣り合う小さな二つの藩。 実はこの二藩は、主従が関ヶ原で、 東西に分かれて成り立ったもので 今も国境の人の立ち入れぬ山を挟み、 常に啀み憎しみ合う関係にある。 ある日のこと、支藩の山村が、 一夜にして壊滅する事態が起こる。 支藩側は主藩の成り上がりの藩主側近、 曽谷弾正配下の牛頭馬頭の仕業かと疑う。 しかしその頃、村から逃げ延びた少年は、 …

道本山 霊厳寺 その二 ~松平定信墓~

…のみとなりました。 徳川吉宗の孫である、 陸奥白河藩第三代藩主、 松平定信の墓もありまして、 ここの地名の白河は、 この定信に由来します。 → 江戸六地蔵について - 元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】 → 記事一覧 - 元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】 享保二年(1717)造立の、 江戸六地蔵の五番目になる、 銅造地蔵菩薩坐像です。 六番目の永代寺が、 廃寺に伴い取り壊され、 現存する五体の中では、 一番新しい像ですが、 蓮華座に穴が開…

飯香岡八幡宮

…飯の香りを賞したことにより、 御影山は飯香岡と呼ばれるようになります。 天武天皇四年(675)に、 一国一社の八幡宮として、 八幡神が勧請され、 飯香岡八幡宮となりました。 天平宝字三年(759)には、 全国放生の地に鎮座する、 国府八幡宮と定められ、 中世以降、上総総社としての、 機能を持っていたことから、 今も上総国、国府総社と称されています。 源氏・千葉氏・足利氏、 そして徳川氏と、 武家の崇敬を集め隆盛を極めます。 朱塗の本殿は、 国指定重要文化財に指定されています。

仙波東照宮

祭神 徳川家康公 350-0036 川越市小仙波町1-21-1 公式サイト http://kawagoe-hachimangu.net/toushougu.shtml → 日光東照宮 → 「東照宮」関連の記事 喜多院境内にある、 仙波東照宮ですが、 神仏分離令以降か?、 現在は川越八幡宮の所管のようで、 喜多院のホームページには、 ”関連施設”との追記があります。 日光東照宮、 久能山東照宮の、 二大東照宮と並び、 三大東照宮とも、 上野東照宮を入れて、 四大東照宮ともされま…

【関東第二十八番】星野山 無量寿寺 喜多院 (川越大師不動尊) 〜慈眼大師天海像 その二・天海僧正墓碑〜

…くの伽藍を焼失後、 徳川家光の命により、 江戸城紅葉山御殿の一部を移築したものが、 ここに今に残る客殿、書院、庫裏で、 客殿は寛永十五年(1638)の建立。 「徳川家光誕生の間」があり、 写真の湯殿、厠も現存しています、 書院は寛永十六年(1639)の建立。 こちらには「春日局化粧の間」があります。 客殿の南側には、 江戸城内紅葉山を模したという、 紅葉山庭園があり、 北側には遠州流の庭園があります。 「日本三大羅漢」の一つに数えられる、 この五百羅漢も拝観料に含まれます。 …

新田神社 〜破魔矢発祥の地〜

…称・新田氏の末裔」の徳川家により、 武家信仰の神社として篤く信仰されます。 この御神木のケヤキは、樹齢約七百年。 江戸時代の落雷で幹が半分以上裂ても枯れず、 昭和二十年(1945)の東京大空襲では、 境内にも爆弾が落ちて、 社殿や周辺も全焼する中でも、 今も枯れずにある奇跡の霊木。 上部に宿り木が寄生しています。 この神木に触れると、 健康長寿、病気平癒、若返りの霊験があるとか。 この宝物殿は、 新田大明神縁起絵上下巻、 新田義興公御真筆、 新田義興愛用の和鞍など、 新田神社…

「文明開化 灯台一直線!」(ちくま文庫)

…殿 時をかける大名・徳川宗春」(実業之日本社文庫) → 「超高速!参勤交代 リターンズ」(講談社文庫) → 「引っ越し大名三千里」(ハルキ文庫) → 「幕末まらそん侍」(ハルキ文庫) → 「超高速!参勤交代」(講談社文庫) → 「土橋章宏」関連の記事 さて本日は17日ぶりのD当番日。 ランチはコンビニ飯の予定なので、 恒例の貯金ネタは、 こちらの文庫本にて失礼します。 文明開化 灯台一直線!: 明治灯台プロジェクト (ちくま文庫)作者: 土橋章宏出版社/メーカー: 筑摩書房発…

千葉市富田都市農業交流センター その四

…タでもお馴染みの、 徳川将軍家の鷹狩の道、 御成街道を下りまして、 まずは東京麻布で二十五年、 ここ千葉若松町で三十年、 宮内庁御用達、 創業五十五年の和菓子店、 麻布・菊園さんにて、 お友達への差し入れを購入します。 → 御菓子司 麻布 菊園(千葉市若葉区若松町) 写真は自宅用に買って持ち帰った、 わらび餅と、柏餅・草餅ですが、 さすがは加賀百万石発祥の、 皇室所縁・宮中の、 秘菓名菓を謹製した老舗。 とてもお上品な味わい。。。 そしてやって参りましたのは、 昨年の春に二度…

「旅猫リポート」(講談社文庫)

… 龍興山 南宗寺 (徳川家康墓 その二・千利休墓・三好長慶墓及び像等) → 西宮神社 → 一鶴 西梅田店 → 関西二重生活終了について 旅猫リポート (講談社文庫)作者:有川 浩講談社Amazon そんな訳で、貯金の読書ネタは、 有川浩さんの文庫化最新作「旅猫リポート」。 絵本や児童書にもなっていると、 噂には聞いておりましたが、 辛抱強く文庫化を待っておりました。 人間の言葉をほぼ理解出来る野良猫の主人公。 お気に入りの銀色のワゴンのボンネットで、 その持ち主のサトルと出会…

龍興山 南宗寺 (徳川家康墓 その二・千利休墓・三好長慶墓及び像等)

…2 日光東照宮 → 徳川家康墓 その一 さて堺で二件目のアポを終えて、 やはり長年の課題だったお寺を訪れてみました。 大坂夏の陣、茶臼山の激戦で、 真田信繁に押されて退却した徳川家康は、 駕籠で逃げる途中に後藤基次の槍に突かれて、 実は絶命していたという説があります。 ひとまず影武者を立てて、 密かに堺に遺骸を運び、 とある寺の堂の下に隠して葬り、 その一年後に病気で「逝去」したとして、 こっそりと改葬をしたとか。 秀忠、家光もその寺を参詣した記録もあるそうです。 それがこの…

「金の殿 時をかける大名・徳川宗春」(実業之日本社文庫)

…殿 時をかける大名・徳川宗春 (実業之日本社文庫)作者: 土橋章宏出版社/メーカー: 実業之日本社発売日: 2017/02/03メディア: 文庫この商品を含むブログ (2件) を見る 最近、新作が出れば必ず購入する、 脚本家・土橋章宏さんの、 書き下ろし文庫作品。 奇想天外な時代小説の多い土橋さん。 今回の作品は、あの第七代尾張藩主、 徳川宗春がタイムスリップをして、 現代の名古屋市に出現を繰り返し、 側用人の星野織部の子孫である、 少女・すずと未来を巡り、 あの政治宣言「温…

「黒書院の六兵衛」【上・下】(文春文庫)

…なってしまう、 尾張徳川家徒組頭の加倉井隼人。 さて江戸城に乗り込んでみれば、 宿直部屋に無言で居座る、 御書院番士の的矢六兵衛。 寡黙な六兵衛を調べてみれば、 どうやら最近元の六兵衛とは違う人間に、 すり替わったという噂。 調べる間にも六兵衛は居座りを続け、 座敷も次々と格上に移動。 ついには将軍家の御座所、黒書院へと。。。 江戸っ子の浅田次郎さん。、 今までも江戸っ子の矜持を、 テーマにした作品は多々ありますが、 やはり江戸っ子にとって、 一番触れられたくない部分は、 江…

「幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版」(ちくま文庫)

…屋は、 おそらく紀伊徳川家中屋敷のあった、 現在の紀尾井町辺り。 ワタシとは東西が丸で逆ですが、 とても他人とは思えません。 そりゃあ都合の悪いことは、 日記には書かないよな〜、伴四郎。 ホンマよう分かるわ。知らんけど。 さて日記は一部のみしか、 発見されていないので、 伴四郎の没年は不明なんだそうですが、 彼と家族はその後に、 どう激動の明治を生きたのだろうか。 とても興味があります。 これ買ってしまおうか。。。 ↓↓↓↓↓ 紀州藩士酒井伴四郎関係文書 (清文堂史料叢書第1…

音羽山 清水寺

… 「清水の舞台」。 徳川家光の寄進による、 寛永十年(1633)の再建で 寄棟造檜皮葺きで正面の左右に、 入母屋造の翼廊が突き出て、 建物の前半部分は斜面にせり出す構造。 この舞台を支える柱は、 139本のケヤキだそうで、 釘は一切使われていないとか。。。 清水の舞台の南西の擬宝珠越しにみる、 京都の街並みと音羽山の紅葉。 ・・・言葉はありません。 大混雑の人ごみに揉まれながらも、 ただただその美しさに心を奪われました。 ちなみに蛇足ではありますが、 「清水の舞台から飛び降り…

鷲峰山 高台寿聖禅寺 (高台寺) 〜高台院 霊屋〜

…寺院ですが、 実際は徳川家康が、 北政所を母と慕う武将の懐柔を図り、 彼女を手厚く扱った待遇の一つであり、 秀吉と北政所を祀る、 霊廟としての性格を持つ寺院です。 観月台とつながる開山堂は重文で、 入母屋造本瓦葺きの禅宗様の仏堂。 慶長十年(1605)の建築で、 元々は北政所の持仏堂だったもの。 中央奥に三江紹益、 右に北政所の兄の、 木下家定とその妻・雲照院、 左に高台寺の普請に尽力したという、 堀直政像を安置しています。 またこの堂の天井は秀吉の御座舟の天井と、 北政所の…

華頂山 知恩教院 大谷寺 (知恩院) 〜法然上人御廟〜

…元和七年(1621)徳川秀忠の建立で、 日本最大の木造楼門。 先ほどの南禅寺三門、 そして東本願寺の御影堂門と並び、 京都三大門の一つです。 「忘れ傘」でも有名な、 寛永十六年(1639)再建、 徳川家光寄進の国宝・御影堂は、 残念ながら改修中でご覧の通り。 さてこちらの知恩院。 浄土宗鎮西派の総本山で、 開基は法然となっていますが、 現在のような大規模で、 壮大な伽藍が建立されたのは、 門徒だった徳川家康が、 政権を取った後の、 江戸時代以降のこと。 元々ここは法然が後半生…